フィヴェの日記

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読書感想|「それをAIと呼ぶのは無理がある」-20230904読了

 今回は「それをAIと呼ぶのは無理がある」の感想を書きます。

 

・基本情報

題名:それをAIと呼ぶのは無理がある

著:支倉はせくら凍砂いすな 発行:2020年11月25日 発行所:中央公論新社

 

 

・簡単なあらすじ

 万能AIが現実世界へと登場し、人の生活はAIに依存するようになった。そこには様々な愛の形があった。全五篇から成る連作短編集。

 

 

・感想

 第一話を読み始めた時、私は驚きました。なぜなら、AIが主人公たちと軽口を叩いていたからです。今のAIでも難しいことをさも当然かのように行っていたので、近未来での話なのだとわかりました。また、AIが映像として現実世界へ介入していることにも驚きました。この本の中のようなAIが私たちの住む現実世界にいたら、どんなに楽しいことだろうと思います。あくまで人間が使う道具として、人間と対話するAIは自らのあり方が、どの話でも決して揺らがず、すごいと思いました。

 

 最も印象に残った話は第四話です。不完全だからこそ可愛らしく思えて受け入れられるものもあれば、不完全だからこそ恐れが湧くものもあるのだなと思いました。例えば、幼児の片言は可愛らしく聞こえます。しかし、機械の自動音声は人間に近ければ近いほど、不完全な部分が際立ち、不快に聞こえます。いわゆる不気味の谷というやつです。どちらも言葉に不完全な部分があるという点は変わらないのに、前者は可愛らしく、後者は不気味に感じさせます。必ずしも完成形に近ければ近いほど良いというわけではないのだなと思いました。

 

 第三話は主人公に尊敬しました。本当に好きなものの為になら、どこまででもできる主人公は素晴らしい努力家だと思います。自分の失敗から、冷静とは言えなくも、学びを見出しているところも尊敬できます。

 

 

・調べたこと(下記引用部分は「」より引用)

ちなみに「中国語の部屋」というのは、日本語しか話せない人と中国語しか話せない人がいて、お互いなにを言っているかわからないけれど、たまたまお互いの行動が合致していれば、言葉は通じなくても通じているように見える・・・・・・という思考実験のこと。

 87ページ15行目。

 本文の内容は概ね間違っていないが、捉え方によって読み手が間違った認識をする。

 相手の行動にその人が内容がわからないまま対応しても、相手の期待する結果を返している間は、外から見て意思疎通ができているように見える。ということについての思考実験。